GO WEST

4年の海外生活を経て夏に帰国。毎日のこと、気ままな雑記 

サーモンの刺し身を食す。

渡米してから、とんと食卓に魚介類が登場しなくなった我が家。やたら高いし、その割に味が微妙だからだ。なおかつ冷凍の物が殆どで、うまく料理できない。生食なんてもってのほかだ。
それでもたまに食べたくなる。

息子の誕生日が近い。我が家では昔から、ご馳走を作って家族で楽しく誕生祝いをする派。よってアメリカでも同様に、ちょっといいものを作って食べたいな…あ、お刺身でも食べたいな〜、と考えてた。相談すると友人たちは口々に「コスコのサーモン、生でもいけるよ〜!何度も買って生食してるけど、この通り元気だよ!」と教えてくれた。
「フレッシュって書いてあるやつだよ!」と。

誕生日もいよいよ迫り、メニューを決めねばならない。家族の体調は万全だ。サーモンの生食に挑戦するにはもってこいのタイミングだ。
ということで誕生日当日、フレッシュと書いてあるなんとかサーモンをゲット。半身である。正月ですらこんな大きいの買ったことないよ。

夕食時、どどーーんとお皿いっぱいのサーモン刺し身に家族から歓声が上がる。
「今日は一人何切れとか数えなくていいからね!」
独特のあのねっとりとした舌触り。醤油とわさびのコラボレーション。これぞ刺し身だ〜!うめ〜!刺し身久しぶりだ〜!なんぼでもいける〜!と皆して嬉々として食べ始めるも、箸はじきに止まる。

…なんか俺、もういいかも。
うん、思ったより食べられない…。
たしかに…。

何が起こったかというと、脂が乗りすぎててくどくて沢山食べられないのだ。残念〜。
しかもサーモン一色の刺し身なので飽きる。
徐々に臭みも気になってくる。

我が家が脂の乗ったサーモンではだめな庶民なのか、はたまたアメリカのサーモンは所詮生食用じゃないってことなのか。いっそ手巻き寿司だったら食べやすいかも。などなど敗因をかんがえつつ。

あまりに大きいので切り分けて、塩を振ったり、味噌漬けにしたり、こまこまと小分けにしていたので、その後しばらく楽しめた。

あ、もちろん、日本食スーパーに行けば、生食用のマグロやタコ、イカなど各種あるんだよ。
ただね、高いんだ。中高生の腹を満たす量の刺し身は買えない。
お刺身の繊細な味は…やっぱり日本に帰るまでお預けかな。

スクールシューティングの予告があった

先日、息子の通う学校のトイレで、

明日、スクールシューティングをしてやる!

という旨の落書きが見つかり、警察が来て大騒ぎになった。

 

学校からは全保護者に

「これこれこのような予告があり、警察と共に十分に調査している。そして、この件が信憑性のあるものではないと判断した。この落書きをした者がたとえいたずらのつもりでも、これは犯罪行為である。法に基づき処分される」

というような内容のメールが配信された。

 

息子からは

「怖い」「明日学校に来ないっていう子がいる」

「僕は学校に行かなきゃならないの?」

とメールが来るし。

もう大騒ぎ。

 

息子によると、聞き取り調査などで、いろいろ調べていくうちに、一人の生徒の疑いが浮上し、結局のところ、その生徒の仕業だったというわけだ。

普段からトラブルメーカーだというその生徒、おそらく以前にも問題を起こしていたためか、その日もすでに何かやらかしていたのか、すぐに退学処分となった。

そして、その生徒は市内の別の中学に通うとのこと。

なんだかよくわからないけど、同じ市内だから話はすぐに回っちゃうでしょ?本人的にもそれってどうなのかしらと思ったりして。

ともあれ、

 アメリカに来てたったの3年だけど、スクールシューティングは毎年どこかで起こっている。学校に限らずに言えば、もっとだよね。

それだけに学校も反応はシビアだ。

 

イベントでは持ち物検査が当たり前にあるし。その時の物々しさが、日本のイベント会場の持ち物検査とは全く違う雰囲気だし。

 

ビルの入り口には銃持ち込み禁止のステッカーが貼ってあるし。

学校に出入りする警察官の腰には大きな銃が下がってるし。

 

日本でも怖い事件はたくさん起こっているけど、というか、気持ち悪い事件が多くなったような気がするけど、銃がない分だけ、凶悪な事件が少~し減っていると思いたいよ。

 

アメリカのPTA:PTOの世界をちらっと垣間見る

アメリカでは、PTAじゃなく、PTOという。

まだ、渡米して日が浅く右も左もわけが分からん頃。
子供の通う学校でPTOミーティングがあるから保護者の皆さんぜひともご参加を、というお知らせメールが来た。
私としては、新年度早々だったし、これは日本で言う保護者総会的なもんだろうと、思ったわけだ。
これは行かねばならんだろうと。

日本ではPTAの活動をやっていたことがあり、いろいろ大変さは知っているつもり。
もちろん楽しさも、やりがいも。
自分の時間を捧げて活動してくれてる人に、一般保護者が感謝の気持ちを表すにはそのテの会には出席するのが良いと思っている。

ということで指定の日時に行ってみたら……おかしい。
PTA総会の割に駐車場の入りが少ない。
人の出入りも少なすぎる。
ちょっと早く来すぎちゃった?
それともアメリカ時間ってやつか?
はたまた、これは日にちを間違えた?

いろいろ疑問に思いつつも、校内に入り、会場であるカフェテリアに進んでいく。
カフェテリアにはテーブルがずらっと並んでて、一人の女性が準備らしきことをしてた。
彼女は笑顔で、どうぞ好きなとこに座って、と勧めてくれた。
先生かな、役員さんかな。
どうやら会合はあるらしい。いやしかし、予定時刻はもう間近だけど一向に人が来る気配がない。
テーブルが「ずらっと」とはいっても、あきらかに全校の保護者が座れる数ではないし。
ここらでやっと、気が付く。
これなんか絶対違う、保護者総会じゃない。では一体何なんだ。
どうしよう私。
でも今更帰るわけにもいかず、どよ〜〜んとして、はじーーっこに座る。

「じゃあ、時間になったので始めましょうか」
という頃に集まったのは10数名。
テーブルは1つで十分。

準備をしてた人は、会長さんだった。彼女が自己紹介をした後、
「じゃ、みなさんにも軽く自己紹介してもらいましょう(*^_^*)、ではこちらから」
と私の反対の方を示し、そこに座っている人から自己紹介が始まった。
おお、やべえ、まじでか。
人数が少ないから、無情にもほどなくして順番は回ってくる。
落ち着け、自己紹介くらいできるだろ、私!

私はたみーです。息子がこの学校に通っています。
夏休みの間に、日本からアメリカに来たばかりで、私たちには友達がまだいません。
だから、息子が楽しく通ってくれればうれしいと思っています。

夏休みに来ました、の下りで「Ooohhh!」と声が上がり、なんとか話し終えた後ひときわ大きな拍手をもらった。
はぁ、良かった。お母さんは頑張ったよ。


会の内容は保護者総会にちょっと近い感じだった。
今年度はこんな計画をしてて、予算はね・・・と話が進んでいく。
副会長はこの人です、会計をだれかやってくれない?みたいな感じ。
私の英語力では、大雑把なところしかわからない。
とりあえず、手元にプリントがあってよかった。なんとか間が持つ。

その会が無事に終わったら、役員に名乗りを上げてた一人のママさんが話しかけてきた。
「うちの息子、タイラーっていうんだけど、いつもあなたの息子のこと話してるわ。
同じクラスで活動してるみたいね。私はミシェル、よろしくね」
タイラーは、英語の話せない息子を何かと気遣ってくれてるのか、
いろいろと教えてくれるのだと息子が話してたのを思い出した。
いつもありがとう、助けられてるよ、と伝えた後、ちょっと聞いてみた。
「PTOミーティングには全保護者が来ると思ってたんだけど、こんなに少なくてびっくりしたよ」と。
するとミシェル、ちょっと首をすくめて、
「そうね、本当はもっと来てほしいけど、みんな忙しいからね」
みんな来てくれないのーとがっかりすることもなく、みんな参加すべきだと憤ることもなく。
こんなもんよ、という感じ。

そして私はもうそれ以来、PTOミーティングに参加することはなかったのだけど、
その学校で過ごすうちにちょっとわかったのは、
イベントごとにPTOが全保護者からボランティアや寄付を募る仕組みだということ。
ちょっとボランティアで学校に行って、お手伝いできるよという人はそうするし、
気持ちはあるけど行けないわという人は、物やお金を寄付したり、
なんだかんだと必要な枠が埋まっていくのである。
よって、運営陣がすごく少なくても何とか回っちゃう。

なんだろう。
日本のPTAよりも気軽に参加できそうな雰囲気がある。
大きなイベントありきで人を集め、前もって着々と準備を進め、ぬかりなく事が運ぶように周到な準備が必要、なPTAではない。
きっとボランティアがいなければその企画はなくなるか、規模縮小くらいで企画自体も柔軟なのかもしれない。
そもそも、アメリカで「ボランティア」は何かの良いステータスのような印象を受ける。
「ああ、あの人そういうの好きだからね( ̄д ̄)」じゃなくて
「ああ、あの人そういう人だからね(^-^)」な感じ。わかる?この違い。
美徳のような。お金持ちという意味じゃなく、余裕があるというか。
うまく言えないけど。

日本でももっと気軽なPTAだったらいいのに。
恒例行事も、前のは盛り上がったとか、去年はしょぼかったとか、成功だとか、失敗だとか
そんなこと気にせずできたらいいのに。
役員さんが頑張りすぎるから、ほかの人たちが恐れをなして次期役員が決まりにくかったりするんじゃないかな。
ほかの人たちは、役員さんを当てにしすぎてお手伝いしようという気持ちが薄らいでるのかもな。
とか、いろいろ思っちゃうんだ。

息子たちは大きくなって、PTAという組織とはだんだん縁遠くなってきた今日この頃だけど。
時々そんなことを思うのだ。

お弁当の自由度はどこまでか。〜トマトジュースの思い出

かれこれ40年も前のこと。
私が通ってた幼稚園はお弁当だった。
ある日、母に、お弁当の一部としてトマトジュースを入れてとリクエストした。小さい缶に入ったやつ。

なぜそんなリクエストをしたかというと、その日、クラスの女の子がお弁当にヤクルトを持ってきたから。その子はさも当然のようにヤクルトを飲み、私は羨望の眼差しで眺めていたのだ。
ヤクルトも輝いて見えたけど、何より
お弁当の時間に、お茶か水以外の、しかも甘い液体が飲めることに私は衝撃を受けた。
そうか、いいのか!と。

ヤクルトはうちに常備のものではないし=高級品
トマトは野菜だし≠おやつ
問題ないと、私は考えたのだ。
ほんとにいいの?という母にヤクルトを持ってきてる子もいるから大丈夫と断言したのだ。

トマトジュースを持っていったその日のお弁当タイム。お弁当を出して、トマトジュースを出したら、同じテーブルの子が「ジュース持ってきてる!」と言った。それにより、幾人かが私を見る。
「トマトジュースだよ?それがどうしたの?」とプルタブを開けると、パキッと部屋中に響く、結構な音だった。

先生が飛んできた。
「ジュースはここで飲んじゃダメよ。皆が真似したくなるから別の場所に行って飲みましょうね」
と、何やら職員室の脇の、カーテンで区切られた物置みたいな場所に連れて行かれ、そこで飲んだ。タブを開けたまま持って移動したため、ちょっとこぼれてしまって、手にはトマトジュースが付き、
カーテンの隙間から明るい廊下を眺めながら、トマトジュースってこんなにのどを通りにくい飲み物だっけと思ったのを覚えている。

今でもなぜダメだったのか、疑問である。
ヤクルトは良くて、トマトジュースはダメなのか?
プラスチックなら良くて、缶はダメなのか?
ヤクルトは健康食品だからいいのか。
トマトジュースの缶より、ちょっと小さいからいいのか。
味で言えば、ヤクルトの方がよっぽど「ジュース」なのに。

今日、子供達のお弁当は簡単におにぎりとオレンジジュースだ。

着るべき服が分からない

どうも40台を過ぎたころから自分にしっくりくる服に出会えなくなった。

流行りの服は論外。定番のものだって、なんだかどうにも。

試着してから、よし、これ買い!まで行きつかない。

 

サイズ感も怪しい。

MなのかLなのかLLなのか。

日本で買うものはLかLL。

アメリカで買うものはMかL。

体形的に、微妙な位置づけにいるらしく、同じブランドでも、デザインによって

サイズが違うし、不思議なことに色でも違うのよ。

もちろん、その服をどのように着たいかでも選び方が違うしね。

のっぴきならない必要性があって、かなり目標を絞ってでかけて、時間をかけて試着して、じゃあ、これにしとくか・・・どまりなのだ。

 

若いころの、お店で出会って一目ぼれで買っちゃってた頃が懐かしい。

今はさんざん悩んで結局買わないことの方が多い。

 

今日、そろそろ明らかに夏仕様の服は片付けようと衣装ケースをごそごそしてたんだけど、この頃、服選びに行き詰っていたためか、

私のたんすには、定番中の定番の形の、色も黒や紺、グレー。あってボーダー。

本当に無難なものしか入っていないことを改めて感じた。

シンプルライフが流行っているから、まあ、きっと人はそのように見てくれるかもしれないけど。

私の普段着の色はほぼ毎日同じである。ほぼ毎日、ジーンズと濃い色のTシャツ。

一応、Tシャツは微妙にデザインが違うのよ。

 

洗濯物を干した後、我が家の洗濯物を見ると黒、紺、グレーばかり。明るい色がついているのはタオルくらい。

子供が小さければさすがに違いは歴然だが、同じような色味の同じような形、同じようなサイズが多いため、どれが誰のものかごっちゃになって、

「俺のあれがない」

「これ俺んじゃない」

「あ、もしかしてこれかな、どうりでなんか違和感があると思った」(着てるし)

なんてことは日常茶飯事。

家族で唯一の女である私のTシャツですら行方不明になる。

毎度、衣替えの後だけは、今期は何か一つ、冒険の色のものを買ってダンスに華やぎの色をたそうじゃないかと思うものの、実現したためしはない。

 

 

 

タイ料理とインド料理。たまに中東料理とメキシコ料理と・・・

このところ、我が家では、タイ料理というか、タイ風の料理、インド風の料理の登場回数が非常に多い。

ちょっと前から、ヴィーガンのライフスタイルや食べ物に興味があり、ブログや動画を辿りたどって、行き着いたお気に入りの番組(っていうの?)には、タイ風、インド風のお料理が良く登場する。それがとても彩りよく、野菜たっぷりで美味しそうで、つい真似してみたくなる。

余ったら困りそうな特殊な材料は使わないように、手が出る範囲で材料を揃えようと…、いやしかし、まぁ何でも揃っちゃう移民の国アメリカなんだけどさ。でも、食の許容範囲の狭い息子も食べられるように、大丈夫そうなメニューを選んではトライしている。

うちはヴィーガンではないので、ヴィーガンメニューをメインにしたらサイドにはお肉を使ったもの、お肉料理のサイドとしてヴィーガン料理を足すといった具合にしてる。あるいはヴィーガンのサイトで見た料理の普通バージョンを調べて作って、食べ比べてみたり。

で、タイとインド。どちらもスパイシーで美味しそうでしょ。
でも我が家、インド料理はOKなんだけど、タイ料理のウケが悪い。今まで食卓に出たことのない風味だからってのもあるんだろうけど、ココナツミルクや甘辛すっぱい、ナンプラー、パクチーが嫌みたい。ココナツミルクのカレー、美味しいんだけどな〜。パクチーも、慣れれば、ないと物足りない風味なんだけど。
ちなみにパクチー。アメリカではシラントロという。日本ではシャンツァイ、香草ともいう。コリアンダーとも言いまする。何がどこの言葉なのかよくわからないけど、たくさんの名前があって面白い。

他の国のお料理も食す機会があればよく味わって、作り方を教わったり、名前を覚えておいて、後日調べて作ってみたり。
私が日本にいたころ住んでいたのは、普通のなんでもない地方の小さい町。
中国、台湾、インド料理のお店はあったけど、ほとんど行ったことない。タイ料理のお店だとか、メキシコ料理の店とか、世界の食材を扱っているお店なんか、街に行かないとない。あんなに流行ったシャンツァイだって、近所のスーパーにはおいてなかったし。
ネットで注文すれば何でも手に入る時代だけど、知らないものは買えないし。
よって、このアメリカの食材事情のあまりの広さに圧倒されつつ、今のうちに何事も経験とトライしているのである。
帰国するときは、いろんなスパイスを買って持って帰りたいなー。
しばらく楽しめるように。

はぁ?って言われるとき

英語で(がんばって)話をしていると、時々、よく「はぁ?」って聞き返される。

普段私たちが話すとき、聞き取れなくて聞き返すときの動きって、ちょっとアゴが動いたりするでしょ?「は?」とか「え?」とか。そうじゃなく、これがまた鼻に抜けるような感じの、あるいは小ばかにされているような感じの「はぁ?」である。(あくまでも私の印象です)

 

「Excuse me?」「Sorry?」「Pardon?」という人もいるけど、

気軽な会話だと「はぁ?」率が断然高い。

彼らにとっては馬鹿にしようとか、意地悪で言っているわけではない。ごく普通に、「今なんて言ったの?」という感じである。

しかもアメリカ人同士でも結構よく「はぁ?」ってやってるから、特別なことでもなさそう。私の発音が悪くてうまく伝わらないから言われる頻度が高いのかも、ということだろう。だけれども。

しかし、まだこれに慣れない頃、心折れそうになった。

 

想像してみて。向こうから話しかけてきたのに、答えた自分に対する、笑顔で繰り出される「はぁ?」を。笑顔が凶悪なものに見えてくるから。

いつの日か「はぁ?」と聞かずともスムーズに会話ができるようになればいいと思う。

 

私の英語がへたくそだとわかってる知人の一人は、私が話し出すと、やや前傾姿勢で、全神経を集中させて聞く姿勢を取っている感じがする。いや、きっとそうだ。

または、私の支離滅裂な英単語の羅列を、きっと頭の中で整理して文章に組み立て直して理解してくれてるんだろうなという間があるときもある。

ありがたいけど、悔しい。

いや、ね、私だって相手が言うことを聞き漏らすまいと全神経を集中して聞いているから、きっとめっちゃすごい形相をしているに違いないけれども。

あいこっちゃーあいこ。かなぁ?

ちっ。英語うまくなりたいぜ。