GO WEST

4年の海外生活を経て夏に帰国。毎日のこと、気ままな雑記 

時差ぼけは面白い

 人間の体にはリズムがあるんだな、と感じる。

アメリカと日本は14時間の時差があるので、いわば昼と夜が逆な感じだ。

帰国直後は、ふと、自然に目が覚めると朝の2時3時。4時も過ぎれば動きたくてむずむずする。二度寝、三度寝なんてもう無理ってなる。

せっかく早起きしたのだからと、早朝からなんだかんだと動いていると、ずいぶん活動的で、仕事がはかどるように感じるけど、お昼を回ると、急にスピードダウンする。で、午後の3時4時になると猛烈な睡魔に襲われ、ここをどうにかこらえても、7時8時には吸い込まれるように寝てしまう。

 

これが日々少しずつ日本時間に調整されてく様子も面白い。

 

日本からアメリカに行くのと、アメリカから日本に行くのとでは、前者の方が時差ぼけが強いらしい。なるほど、確かに、時差ぼけが治る日数はアメリカに行った時の方が長かったような気もする。なおかつ、家のあちこちで作業途中で寝落ちする(階段で寝てたこともあった)頻度も高かった気がする。地球の自転に逆行するとか順行するとか、そんな違いがあるのだろうか。いやでも20歳のころ旅行でアメリカに行ったときはそんなに時差ぼけが気にならなかったけどな。若さなのか?

いや、10代の息子たちも時差ぼけしてるから、若さの問題でもなさそうだ。

 

世の中には時差ぼけしない体質の人もいるらしいし、時差ぼけにならない(なりにくい)方法というのもあるらしい。

時差ぼけにならないように、飛行機に乗ったらひたすら寝るのだ!と教えてもらったけど、私はついつい、映画を見続けてしまうのね。だってぇ、見たいやつがあったら見ちゃうじゃん。また、飛行機に乗ったら時計を行先の時間に合わせて、その時間に沿って過ごすのだ、とも聞いたけど。それやったら、そのうち午前だか午後だかわかんなくなっちゃって(私の時計はアナログ式)、結局大混乱だった。

機内で映画も見たいし、飲み物や食事が配られればそれも絶対食べてみたいし、私の飛行機の時間はなんだか中間の時間で、それはそれで、独立してる。

よって、まんまと時差ぼけするのかもしれないな。

 

 

帰国の途につく

いよいよ帰国の日。

 

通常ならば、この時期、コロンバス空港は早朝でも人がたくさんいる。日本人ならば帰国の人、一時帰国の人、旅行の人。帰国家族のお見送りに友達が集まってわいわいと別れを惜しんだり、日本での再開を約束したり、写真を撮ったり、それはそれは大集団になり、人目を引く光景だ。

 

ただし今回は様子が違う。

コロナのおかげで私達の見送りはない。平日の早朝であるとともに、コロナで皆お出かけを自粛しているのだ。私の友達が少ないせいもある。数少ない友人たちとは、屋外お茶会をしたり、玄関先で立ち話だったり、ラインだったりで挨拶済み。

もう一つの理由は、息子の同級生たちは先に続々と帰国し、仲間うちでは我が家が最後だからだ。

 

お見送りがいなくて寂しい?

正直に言ってしまえば、良かった。苦手なんだよね、お見送り。するのもされるのも。

コロナのおかげで苦手な人づきあいが減って、ちょっと気持ちが楽なこともあったりというのもある。

 

今日のコロンバス空港は昨年の一時帰国のときに比べればぐっと少ないけど、思ったより人がいる。いろいろ再開してるから人の移動は可能だしね。

空港内のあちこちにハンドサニタイザーが設置されて、定期的に「コロナウイルスの拡大防止にご協力ください…」アナウンスが流れる。消毒が専門なのか、消毒液とペーパータオルを持った係の人がずっとあっちこっちを拭いている。人混みもそんなんじゃないし、きれいに清掃されているし、消毒専任の人もいるし、感染の危険は感じない。こんなにまでやってるのに、なぜアメリカの感染者は減らないのだろう、と思っちゃうくらい、この場所は徹底している。

 

国内線機内。

UNITEDの国内線は、通路側をあけて窓際に座るようになってる。お客さんもマスク着用だ。搭乗時の通路ですれ違う時だけはSocial Distanceは無理だけど、他は人との接触はない。機内も搭乗前には清掃消毒されている模様。また、スナックや水のサービスもない。もとよりシカゴまでのフライトは1時間くらいだから、飲み物のサービスはなくても問題ないけどね。降りるときは前から5列ずつ順に降りるようになっていて、順番まで座って待つように言われる。

 

シカゴ空港。

空港内の人はまあそこそこいる。でも、少ない方なんじゃないかな、と思う。

私達のゲート付近は、ほとんどのお店が閉まってて、大きいコンコースまで行くと1/3?半分?ほどの店が開いている。よって、スタバ、マック、ベーグルやさんは朝のコーヒーやパンなどを求める人の大行列である。で、現金ではなくカードを使ってください、の張り紙が行列の隙間からちらりと見える。

私たちは、ラウンジを利用。これまたゲート最寄りのラウンジが閉まってるので、大きいコンコースまで出て開いてるラウンジを見つけた次第。

フード、ドリンクの種類は少なく、フードはすべて個包装のマフィン、クッキー、シリアルバー、ヨーグルト、くらい。飲み物はカウンターにいるウエイター?に頼むと出してくれる。もちろん、アルコールも。メニュー表が置いてあったから、他の食べ物もあるのかなぁ。朝ではない時間帯だったら、ほかの種類のフードも出るのかもしれない。

私はコーヒーとマフィン、息子らはヨーグルトもいただいて、軽い朝食終了。

いいの。飛行機の中でゆっくり食べるから。

 

国際線機内。

ANAのビジネス。10数時間のフライト。

お客さんの数は半分もいないくらい、かな。CAさんも大変だなー。でも常に笑顔で接客してて、こまめに乗客の様子を見に来てくれる。

ただ座っているだけなのにお腹がすく育ちざかりの息子たちは、おやつだの夜食だのとあれこれ注文して食べてた。温かい食事はたいへんありがたい。

 

成田空港。

飛行機が成田に到着すると

乗り換えの人、

公共交通機関なしで自宅に帰る人、

ホテル宿泊の人  の順で降りる。

引率が付いて乗客がグループでぞろぞろと空港内を歩く。係の人は振り返り振り返り、皆がちゃんとついてきてるか確認しながら、である。

係の人の指示に従って歩き、待ち、検査が終わるとまた集められたところで「迎えの車はもう到着していますか?」と聞かれる。

 

うちはドライバーさんから、すでに空港に到着し、どこそこの場所で待っているいますとの連絡をメールでもらってたから、すぐに確認できた。しかし、私のグループの一組は「これから電話して家族の車を呼びます」という。

すると係さん「今すぐ電話して確認してください。携帯ありますよね?迎えの車が来てないと外にお連れできませんから」と。ぞんざいに言い放つではないか。もしその人の携帯が海外で買ったものならば、日本では使えないでしょうよ。いや、使えなくはないけど国内にいながら国際電話なんて恐ろしくて使えないでしょうよ。しかもこの場所には公衆電話も見当たらない。

空港に着いてから迎えの車を呼ぼうと思っている人は要注意だ。

 

そして、お迎えの車がすでに空港で待ってるという人たちだけが引率されて、空港の外に向かう。

帰国者が動く場所はとても限られたエリアで、空港でWi-Fi借りて、荷物預けて、などは難しそう。多分、その旨を言って係さんにそのカウンターまで連れてってもらわないとならない感じだ。お店で食料でも買って。。。というのはできないのじゃなかろうか。もう、どこにも寄ってくれるなという感じ。外に出ると、引率の係さんは、「どの車ですか?ナンバーわかりますか?」ときっちりついてくる。

 

このように、公共交通機関を使わす自宅に帰れる人は、PCR検査の後、すぐに空港を出られる。ではホテル滞在の人はどうかというと、政府指定のホテルに移動し、検査の結果を待つことになる。確か2泊だったかな。結果が出ると、それぞれが予約しているホテルに移動になる。移動にはバスが出ると聞いている。

私たちの帰国時は、コロナの水際対策が始まってしばらくたっていたのもあって、各機関ともある程度慣れた感じで、大きな混乱はなかった。逆に慣れちゃってて、空港の係さんの対応がぞんざいだと感じたのかしら。

 

私たちは、会社が手配してくれたハイヤーで自宅まで戻ってきた。こんなに遠くまで運転してくれたドライバーさんありがとう。

で、我が家はいよいよ14日間の自宅待機が始まる。

ちなみに自宅、ほとんど空っぽの箱の状態。どうやって14日間生活しよう。。。

 

 

 

お別れ会

ふりかえり。

始めはアメリカでの生活に慣れようと必死だった。

まず、子供たちが楽しく過ごすことが私の最優先事項。プレッシャーを与えない。ネガティブなことは言わない。家庭教師を探し、英語に慣れない初めのうちは宿題(翻訳)も手伝う。現地校や補習校、学校関係の日常のことはおおむね私の担当。子供が地域のスポーツクラブに入れば、それにまつわる手続きなどもやる。コーチやほかの保護者とのコミュニケーションも必死にとる。もちろん日々の送迎もある。

2番目の優先事項は働くオットのフォロー。(ごめんね2番目で。でも大人だし。。。)なるべく家のことに手間をかけさせないよう、私ができることはなるべくやるよう気を付けたつもり。

よって、自分のことは一番最後である。自分のために使う時間も心の余裕も最初のころはほとんどなかった。

そんなの、駐在のママたちはみんなやってるんだけど。。。まあ、そんな4年間。

 

いろいろ再開した中で子供の野球チームも活動を再開している。

息子は昨年のトライアウト時点で、シーズン途中で帰国する旨を伝えたうえで、参加している。このチームで3年プレイしてきたので、コーチもほかの保護者さんたちも我が家のことをとても心配してくれる。君たちは本当に帰国するのか?COVID19で帰国はなくなったりしないのか?飛行機は飛ぶのか?日本の状況はどうなんだ?

日本でも感染者が出ているとはいえ、アメリカの比ではない。しかも、われらが戻る町の感染者数はいるかいないかわからないほど。そして、学校も6月から再開していて、夏休みは短縮だ。多少の制約はあっても、ほぼノーマルに戻ってるんだ。

そんな話をすると、「Wow」である。

 

息子にとって最後の試合の日、チームでパーティを開いてくれた。パーティといっても、お店に行ったりはできないから、試合後に球場の片隅に集まって、お菓子を食べただけのささやかなもの。息子の3年分の功績をたたえてくれて、チームメイトからもお言葉をもらい、プレゼントをもらい、気さくなもので、私も気が楽だ。

コーチが涙を流しながら息子との思い出を話をしてくれるのを聞きながら、自分たちの頑張りを勝手に重ねて、怪我したときは大変だったなーとか、送迎忙しかったなーとか、いろいろ記憶が蘇って、でも頑張ってよかったなと思ったのである。

こちらからお返しというのも思いつかず、息子の好きなおせんべいを持って行って、皆で分けて食べた。なぜおせんべいかというと、日本のものというのもあるけど、卵やナッツ、牛乳アレルギーの子でも食べられるから。しかもコロナ時期にはありがたい個包装。

「なんじゃこれ、ショーユって最高!」「日本のお菓子っておいしい!」とおおむね好評。「ぽたぽた焼き」と「雪の宿」はアメリカ人の子供にもOKだとわかった。

おっと、おせんべいの話じゃない。

 

帰宅すると、次男の野球のチームメイトたちも、お別れに来てくれてたらしく、皆で家の前で写真を撮ったり、おしゃべりしてた。

 

最初は英語がわからなくて苦しかったと思うけど、野球を通して交流できて、お別れを言いにわざわざ家に来てくれる友達ができたことは、ほんとうに嬉しい。

みんなよく頑張ったな。

日本に帰ってもいろんなことに自信をもってチャレンジできるといいな。

さて、帰国だ。

引越し作業中

渡米当時からの予定で、我が家は今年の夏に帰国するのである。

引越しの準備を始めようか、というところでのコロナ騒ぎ。

これには参った。

 

もともと3、4月は引越しシーズン。日本の学校や仕事などの区切りの季節。

コロナによる危機感が高まってきてから緊急帰国する人、予定通り帰国に踏み切る人、様子見で延期する人、さまざまである。帰国は自主的、会社都合だったりとそれぞれの事情があるわけだけど、どの国どの地域が安全というよりかは、とにかく「移動する」ということは大いに不安を伴う。

5~7月はアメリカの学校年度が終わってからの、夏休みに入るタイミングでのもう一つの引越しシーズンである。我が家はこちら。この夏に高校を卒業した息子は、この先アメリカにはいられない。我が家のビザも期限が近い。ビザの延長はオットの会社の業績を考えるとないだろう。

様子見で引越しの準備を延期にしていた人も、長引くコロナで先が見えず、かといってずっとアメリカにとどまって収束まで待つこともできず、帰国日を決める人が続々出てきた。ここ数日で何人かの友人が日本に帰っていった。

 

 日本へ帰ることへは、うれしさもある反面、不安もある。もちろん、アメリカ生活への名残惜しさも。子供が日本の学校になじめるか、勉強についていけるか、自分はまた働くことができるのか、日本へ戻ることの不安は挙げたらきりがない。しかし目下、気になっているのがこのコロナ渦中に帰国する私たちへのご近所さんの目。悪いことをしてるわけじゃない、気にするなよ!と思う反面、やっぱり自分の家=長く住む家、なわけで。ご近所さんとはうまく上手に付き合っていきたい。自宅待機中、生活に必要な外出は認められてはいるものの、「あの人外に出てる。。。」と思われるのはなんだかいい気分がしないじゃないか。気晴らしに庭でバドミントンでもしようか、なんていうほど庭も広くない。

でも、14日間、100%家(の敷地)から出ないなんて不可能だ。そんなことしてたら別の病気になっちゃう。

 

とまあそんなわけで、現在、自宅までのルートの確保と、今は空っぽの自宅を最低14日間待機場所として過ごせるだけの場所にするべく準備を進めている。家財搬入の立ち合いや水道の開栓などは、昨年帰国している長男が担当してくれる。食料の調達は近所の友人が立候補してくれた。ネットスーパーもあるしね。環境さえ整っていれば、引きこもり生活はアメリカでやっている今のこの生活と同じ。そう思えば、こなせそう?

ウォーキングとかはいいのかな。

はぁ。なぜ君はやってきた、コロナウイルスよ!

もう何度言ったかしれない。

 

コロナの次は人種差別問題

ある日の夕方、私は買い物中。店内のあらゆる人のスマホからアラートが鳴り出した。

なにごとなにごと!?トルネードが発生するような予報はなかったし、アンバーアラート?(※アンバーアラートは誘拐事件発生時に容疑者情報が発令される)と画面を見ると、見慣れないCurfewの文字。はて、なんじゃいな。

 

わからない単語も雰囲気で察する能力だけは身に着いた駐在生活なので、何か良からぬことが起こっていて、外に出るなということなのだな、とわかった。

夜10時から朝6時までの夜間外出禁止である。

 

メモリアルデーに、黒人のジョージ フロイドさんが警察の尋問中に亡くなった事件で、全米で、もう世界中かな、人種差別に対する抗議活動が広がっている。オハイオ州でもダウンタウンや州議会の建物の前で抗議活動が行われ、一部の人が暴徒化し、建物が壊されたり、略奪が起こった。

これはとても残念なことだ。

人種差別への抗議活動は賛成だけど、その後の略奪はただの便乗にしか見えない。これがセットになると、なんだか抗議活動自体が悪いことに見えてしまうではないか。

人は悪いことに目が行きがちなのだ。

各地で大なり小なりの抗議活動があるけども、ほとんどは平和的な抗議活動だ。

特に昼間はね。

 

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ふと足元を見ると。。。

人種差別問題について、私には認識が足りないと思うことが多々ある。外国人がとても珍しい日本の田舎で育った私には、何が、どういうことが差別なのかすら、よくわかっていない。

ここ、アメリカで外国人として暮らしているけれども、まわりには日本人だけじゃないアジア人もたくさんいて、自分だけ違うとは感じたことがない。肌の色はみんな違う。白人も黒人も、黄色い人も茶色い人も、どれがマイノリティーかと思うほど普通にいっぱいいて、外国人もいればアメリカ人もいる。国籍のある人も永住権を持っている人も、駐在や留学で一時的に住んでいる人も、いっぱいいる。話しかけられて、私の英語がネイティブではないのを知って「どこから来たの?」と聞かれることはあっても、それでひどい扱いを受けたことはない。

 

私が住んでいるエリアは比較的裕福な層、医療従事者や教育関係者などが住まっているとよく言われる。よって、治安が良く、日本人も好んで住む。そんなところにいる人たちは、生活に余裕もあるし、教養もある。

ここら辺の人は人種差別はしない。多分。

人種差別する=上品じゃない、スマートじゃない、残念な人

この件について特に話をしたわけじゃないけど、そんな雰囲気を感じるからだ。

 

人種差別についてアメリカの学校ではどう教えられているんだろうか?

本(私が読むのはアメリカの学校で生徒にお勧めする本)を読むと、主人公が移民や難民などのマイノリティで、あるところでは差別を受けるパターンが多い。こういうことを学ぶ科目があるのかな?

なんだか、人種差別は良くないよねー、みたいな暗黙のルールぽい雰囲気もなくもない。息子らに聞いても、そんな授業はなく、わからないという。ただ、息子たちの学年でやらないだけで、他の学年では勉強するのかもしれないけど。

 

去年、テレビドラマで見たシーンがとても印象的だった。

黒人のお父さんが息子と語らうシーン。

お父さん「お前も大きくなったから知っとくべきだ。将来お前の身を守る大事なことを教えるよ。私たちは白人がする以上に常に礼儀正しくあるべきなんだよ」

息子「それは僕らが黒人だから?」

お父さん「残念だけど、そうだよ」

このドラマはゴールデンタイムに放送されているものだ。このシーン、アメリカ人の皆はどういう思いで見るのだろう。

 

移民や外国人が受ける、いわゆる私たちが想像するところのマイノリティとしての人種差別と、黒人が受ける人種差別は、ちょっと別物な印象がする。なんかもっと濃くて深い。

アメリカにもともといたのはネイティブアメリカン(今はこう呼ぶのが良いらしい)の人たち。そこへ、ヨーロッパからやってきた白人。そして奴隷として連れてこられた黒人。白人と黒人、この時点では上下関係ははっきりしてる。その後の南北戦争を契機に、黒人は奴隷から解放され、徐々に権利を獲得してきたのだ。

世界史を勉強していれば、この辺の複雑に入り組んだ事情も分かるのだろうか。

それにしても、どっちも土着の民ではないし、それでも、アメリカを築いた人たちだ。

どうにかならないものか。

 

 

ということで、夜間外出禁止令は、1週間ほどで解除になったけど、街のあちこちでは今でも(平和的)抗議活動をしているところに出くわすことがある。連日の暑さにも負けず、抗議活動をしている人々。彼らの強い気持ちを感じる次第である。人種差別問題はとても複雑で、たかだか4年住んだだけの、基礎知識も薄い外国人が語れる話題ではないのだが、やっぱり、この世の中は人種によって扱いに差があってはならない。肌の色関係なく、皆お互いに対してリスペクトが必要だし、きちんと接しなくてはならない。

月並みですけど。。。

 

 

 

いろいろ再開

オハイオ州はいろいろな業種でREOPENしてきてる。

レストランが開いたとたん、道路の混み具合はぐっと増えた。

通りで見かけるレストランでもテラス席で食事をしている人の姿が見られるように。

ちょっと安心する光景でもあるけれど、コロナ前と同じかというとそうでもない。

客席を減らしているためか、お店が混んでいるようには見えない。でも、お店の前にはテーブルが空くのを待ってる人の列ができている。また、店員さんはマスクをしたままの接客である。

 

私も友人と会う約束があって、カフェに行ってきた。レジ前に立ち位置を示すステッカーが貼ってあり、店員さんはマスク手袋着用だ。注文カウンターの前には顔の高さまでのアクリル板で仕切りが付いている。

いつもは紙ナプキンや砂糖やクリームが置いてあるセルフコーナーも空っぽで、お店の人に言わないと出てこない仕組みになっている。

これはこれで、安心して利用できていい。お店の人も気を使っているんだなと実感。

 

息子たちの野球も活動を再開した。

市(または協会)のガイドラインに則っての活動。コーチはマスク着用、選手と観客はフィールド外ではマスク着用を推奨。活動の前に健康チェックと体温の報告、備え付けのベンチは使用不可、観客は選手一人当たり4人までで外野部分に席を置くこと。などなど。

めんどっちーと思いながらも、ようやく活動できるんだから文句言えないよね、と真面目にマスクをつけていく日本人の私。活動再開初日はマスク着用率が高かったものの、連日30度近い中の練習ともなると、徐々にマスク着用率は下がり。。。

先週末はよそのカウンティ(郡?地域?)で開催されてる大きなトーナメントに参加したのだけど、マスクしてる人は私ともう一人、どこかのチームの観客のおばあちゃんだけである。チームメイトのママは、「このカウンティは感染者数が少ないから大丈夫ってことよ」と苦笑い。

センターハウス付近は、売店で働く人、買う人、行きかう人で結構なにぎわいで、これは見慣れた光景だけど、ソーシャルディスタンスは間違いなく取れてない。

 

近所のスーパーでは、マスク率は高い。それでも7割くらいかな。

皆いろーんなタイプのマスクを使っているので、私の雑な手作りマスクでも全く違和感がなくてよい。

日本の友達からは、手作りマスクはダサいから嫌だっていって、うちのムスメはお高い市販品を使うんだよ、と愚痴メールがきた。日本の女子高生の間では手作りマスクはダサいのね。。。まあわからないでもない。

 

卒業式はドライブスルーで

今年度の卒業式は、年間予定表では5月24日だった。

 

例年、近くの大学の大きなスタジアムを借りて、市内3つの高校の卒業証書授与式が時間差で行われる。アメリカは義務教育が高校までだから、高校の卒業式は義務教育の終わりという意味もあり、大学進学などで家を離れる子もたくさんいることもあり、18歳は成人という意味もあるかどうかは知らないけど、小学校中学校のセレモニーとは雲泥の、とにかく盛大である。

盛大というのはなんか語弊があるかしら?

いやね、小学校中学校の「はい、おつー!じゃ、次でまた頑張ってね!」みたいなカラリ、サラリとしたものじゃなくて、もっとこう、なんというか。。。盛大、壮大、荘厳な感じなのである。ちなみに私の日本の卒業式は、静謐、厳か、というイメージ。

 

偉い人のお話や生徒会会長の話、成績優秀者の表彰やら、そういったのは日本のと同じようにあるんだけど、アメリカの学校に校歌なんてないしね。で、人の話を静かに聞くということもなく、割とざわざわした感じ。家族を見つけて手を振ったりする子もいるしね。

パフォーマンスの部では、卒業生でバンド演奏したり、歌を歌ったり、うちの高校では校長先生がギター演奏をするのが恒例。休憩時間にアリーナを出れば、スタンドが開いてて、ホットドッグとかジュースとか買えるので、家族はそれを食べながらお話を聞いてたりできる。あ、それと、軍に入隊することが決まってる卒業生を式の開始直後に名前を呼んで、皆で拍手をするというのはアメリカっぽいな、と思ったりもする。

ま、とにかく、今年はそれができない。

 

コロナで休校となった後、一旦、卒業式は中止となり、その後7月末に延期と発表され、やっぱりそれもダメになり、最終的にカレンダーの日程で、なおかつそれぞれの学校でドライブスルー形式での卒業証書の授与式を行うことになった。校舎は依然として立ち入り禁止なのである。

 

まずは土曜日に偉い人や何やらのスピーチなどなどが動画で配信された。

その途中には学校のバンドの演奏が、合唱が流れた。なんていうの?オンラインで一人一人で演奏して音を合わせるやつ。そして、恒例の校長先生のギター演奏と共に、シニアの科目を受け持ってた先生たちによる歌が流れ、とても素敵なセレモニー動画だった。

 

その翌日は、卒業証書の授与式。名前順に来校時間を指定され、車で卒業生を学校に連れていき、校内(屋外の敷地内)をぐるりと回って証書を受け取るドライブスルー方式での卒業証書授与式。これも動画で配信。

各家庭車一台といわれているのに、2台で親戚一同を乗り合わせてくる家族がいたり、車のサイズはテントに入る大きさと指定されてるにもかかわらずRVでやってきたり、様々で。

 

でも、学校側がいろいろ工夫してくれて、いい卒業式ができた。

例年の大きな会場よりも、ドライブスルーの方が、息子がまじかに見られるし、写真も撮りやすいので良かったなーなんて思っている。(知らない子の授与式見てもつまんないからそういうの見なくていいし。)

ただ、お世話になった先生や、仲良しの友達と記念写真が撮れなかったのは、ちょっと残念。

 

というわけで、我が家は次男が卒業生。おめでとー!


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卒業記念品?は、学校のロゴ入りマスク。

息子曰く、「俺でも作れそうだな」だって。