GO WEST

4年の海外生活を経て夏に帰国。毎日のこと、気ままな雑記 

セーラームーンとドラゴンボールは人気?

セーラームーンとドラゴンボールはアメリカにも存在している。

 

おそらく誰もが見たことはなくても存在は知っているであろうアニメ。

ドラゴンボールは私が小学生の頃、弟が単行本を集めはじめ、私も一緒になって読みふけったものだ。単行本の背表紙にはドラゴン(神龍だね)の一部が描かれてて、巻数が増えるごとに、ドラゴンの姿が出来上がっていく・・・そういう小細工も気に入っていた。

セーラームーンは妹が小学生の頃テレビ放送されてて、ついでに一緒に見た、懐かしのもの。

そののち、ドラゴンボールは、息子の代、孫の代、と思いきや悟空本人が復活し、未来から子孫が訪ねてきたり、ラスボスを倒したと思いきやさらに強い敵が現れ、設定とキャラクターとが覚えきれず、また、初代のワクワクした感じが薄れたのと、あまりのストーリー展開の遅さに見なくなった。

またセーラームーンは、単に最初のシリーズが終わった時点でもういいや、となったので見なかった。私が大人になってから、地元の文化会館などでセーラームーンショウなどが興業に来るテレビCMで、まだ人気があるんだな、と知る程度。

だったのが。

 

アメリカで、ドラゴンボールは根強く生きている。おもちゃ屋に行くと、グッズが売られている。高校生も大人も、ドラゴンボールのTシャツを着ている人をたまに見かける。テレビでも「ドラゴンボール〇〇(名前分からない)」ってのを放送していて、

すべてのキャラクターが英語でしゃべっている。あたりまえだけど。

 

セーラームーンのグッズは見たことがないけど、

先日のESL(英語を勉強するとこ)にて、先生がいうには

「僕は子供の頃からセーラームーンとドラゴンボールを見ていたよ。どっちも大好きなアニメなの。なにがいいって?そうね、日本のアニメはストーリーがとても深くて、設定も作り込まれているところが面白いよね。アメリカのアニメってドーン、ババーンだし、キャラクターもへらへら〜ってして薄っぺらいでしょ?」

なのだそうだ。

 

この先生は見た目ごっつい男性なんだけど、なんだかとても中性的な雰囲気なので、私の印象を交えた日本語に訳してみた。

 

日本の印象を尋ねると、結構な確率でアニメのタイトルが出てくる。

アニメは日本の文化として立派に海外進出を果たしているんだね、と嬉しく思う。

そして、アメリカではアニメが好きなことを隠す人は少ないような気がする。

みな、堂々とキャラクターがバーンとプリントされたTシャツを着て歩いている。

日本だったらあんまり着ないよね?少なくとも私は着ない。まず、買わないし・・・。

老眼がやってきた

四捨五入すれば50代よ〜、といって数年。

これまで、会社の同僚が「このごろ細かい文字が読みにくくて」といえば

「あらぁ、そうなんですかぁ?きっと疲れてるんじゃないですか?」といい、

自分の席に戻って同じ書類を見ては、自分はまだ大丈夫、などと思っていたものだった。

 

ところが、ここ数年で自分も本を読んでいるとちょっと見えづらいと感じるようになったのだ。

本を読むのは大概、夕食の支度前後の午後。

夕方のちょっと日が落ちかけたころ合いで、微妙な時間帯。

家族の誰かが電気をつけて、暗くなっていたことに気が付く、そんな時間。

そのため、しばらくは見えにくかったのは夕方だからだと思っていた。

 

徐々に、取説や材料表示などなど、文字が細かいものを読むときは、昼間でも見えにくいと感じるようになる。感じとしては「あれ、ピントが合いにくいな・・・」というような。

 

もともと視力のよい、私よりもずっと若い友人が老眼鏡を作った。

「ええーどうして、私よりも若いでしょうに!」といい、ついでに自分の状況を話してみると「それが老眼ってやつでしょ」と、あっけなく言われた。

 

私、運転するときは眼鏡、でも普段は裸眼で過ごしている。

世にいう、近眼の人は視力がいい人に比べて老眼が遅い、というアレ、そのままだったわけだ。裸眼でいるときは細かい文字もさほど苦にならない(ちょっと自信ない)。

読みにくさを感じていたのは眼鏡をかけているときに、細かいを文字を読む場合だったのである。

 

先日、友人たちとランチに出かけた。

メニューには細かい文字でどんなものが入っているか、何をどのようにしたものかが書いてある。幾人かの友人は目を細めて、メニュー表を離して眺めている。

そうだよねぇ、皆そんなお年頃だもの。

こうやって少しずつ老いていくのだ・・・と思う今日この頃。

 

 

 

 

アメリカに行くってことは

それはいつもの何でもない日。仕事中にオットからのメールを受け取る。

「皆で相談したいことがあります」

離婚の相談?愛人とか隠し子?リストラ?いやいや、そんなことは思いつかなかったけど、真っ先に「海外赴任」というのが頭に浮かんだ。というのもオットは時々海外出張に行くようになっていたからだ。行き先はいつも中国。もしかしたらいつしか中国に海外赴任なのかもしれないな、と。それはなんとなく思っていた。

 

ところが、聞いてびっくり、行き先は北米だった。オットの会社の北米拠点があるインディアナ州ではなく、隣のオハイオ州だ。と、何気なく書けど、インディアナもオハイオも「えーと、それはどこでしょうか?」というくらい無知な私。頼みの夫も「オハイオ事情は聞ける知り合いもなく、全く分からない。でも他の企業の日本人はいっぱいいるらしいよ」のみ。

 

さて

 

友人知人に、オットが海外赴任でアメリカに住むといったら、まず賛否両論返ってくる。

賛…かどうかは分からないが、いいですねぇ、うらやましい、カッコいい、絶対行くべきだよ、応援する!、子供たちバイリンガルになれるじゃん。

否…やめときな!銃で殺されちゃうよ!!、え?まさか行くつもりなんじゃないだろうね、子供の将来を大人の都合で台無しにするのか、もったいない、英語できんの?などなど。

 

当時子供たちは高校入試を控えた中学生の長男と、中1の次男、小4の三男。

原則として家族帯同というのが会社の方針。子供の将来を考えて、英語が話せるようになるのはいいことだし、他の国の生活を経験できるのはいいことだと、我ら夫婦は帯同する方向だったけど、さすがに「否」の意見をさんざん聞いた日には、揺らぐ。

中高生がいきなり英語での授業になって勉強についていくのが絶対大変だよ、それはわかる。数年して戻ってきたところで、高校3年生になってからの受け入れ校なんてまずないよ、それもわかる。頑張っていい高校に入ったのに、それを棒に振って不確かな場所に行くのはもったいないし無謀では?、無謀かな。パパとママが英語が大丈夫で子供たちを十分サポートできるんならいいけど、出来ないでしょ?、う、それは・・・

本当に家族帯同するかどうかは悩みに悩んだけど、背中を押してくれたのは、双方の親。お義母さんは「帰ってくるまでお父さん(私にとってはお義父さんだ)生かしとくから。行っといで。」我が母上は「これからの時代に、子供たちにもいい経験になるよ。」

そして当の子供たちの気持ちも大事だから、もし長男がNoだったら諦めようと思ってた。メリット・デメリット、いろいろみんなで相談した挙句、長男は割とすんなり「でも俺は行きたいと思ってるよ」こりゃもう決まりでしょ。

海外子女教育教育振興財団にも相談に行った。相談員の先生は笑顔で「子供さん大きくて大変なこともあるでしょうけど、海外に行きたいっていう気持ちを持ってくれて嬉しいなぁ。是非行ってください!」

ありがとうございます、先生。もういい意見しか聞きません。

 

ということで

我が家はここにやってきた。

ふたを開けてみるまでは分からないもので、ここオハイオは日本人がめっちゃたくさんいる。どこに行っても必ず、日本人を見かける。学校も住むところも、日本人が多くてサポート体制があるところ、子供が寂しい思いをしないところと選んだのもあるけど、想像以上にたくさんいる。

渡米を決めたときのあの葛藤がまるで笑えてくるくらい。なんだったんだろう、あれ。でもね、ここにいる人達、子供さんの有無も、年齢もそれぞれ違うけど、皆同じようにいろいろ悩んで決めてきたはず。勝手ながら、同士のような繋がりを感じてしまう。

 

さて3年経った今、子供たちはどんなかというと。

英語は大丈夫。アメリカ人によると、彼らの英語には外国人のアクセントがあるけど、問題ないよ、とのこと。日本語も大丈夫。何しろ家では普通に日本語だから。

現地校でも日本人、アメリカ人両方の友達がいて、部活動にも楽しく参加してる。挙句、このごろ三男は「日本人が多すぎてちょっとだけ…嫌になることがある」らしい。散々お世話になっておいて何を言う。が、補習校ならともかく、現地校では何かと気を使うんだそうだ。無意識に、友達付き合いにも日本式とアメリカ式とで使い分けてる部分があるのかもしれない。

 

なぜこんなことを書いたのか。今でも、ふと、「ここに来たのは正しかったのか」と思っちゃうことがあるから。そんなこと考えたって、もうここにいるんだからしょうがないでしょう、と思うんだけど、どうしようもなく、そう考えてしまうこともあるのだ。

正しいか正しくないか、それは分からないけど、今は来て良かったと思っている。

そんなとこ。

 

はじまり はじまり

アメリカに暮らして早3年弱。

来たばかりの頃は、まるで余裕がなくブログどころじゃなかった。

そろそろ帰国するかも、という今になって

ちょっと記録も兼ねて書いてみることにした。